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誰かが思う「無駄」なことは、実は誰かの「生きる」ために必要なもの

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過去に私はiPhoneとAndroidとスマートフォンを2台持っていました。

2台持っているということは当然料金も2台分かかるということで、
友達はそれを「無駄だ」といいました。

私の無駄遣いを注意してくれるいい親友です。
しかし、注意してくれる友達には感謝しつつも
私は「無駄だ」とは思っていません。

なぜなら、私はガジェットが好きだからです。

 

「無駄」だけど「無駄」ではない

私は小さい時から何かを収集するのが好きでした。
同じ種類のものでも、例えば色違いとか、絵柄が違ったりすると
集めなければ気が済みませんでした。

興味のない人から見ると、例え色違いでもあくまで同じ種類のものなので、
それは重複している「無駄なもの」とみられてしまいます。

しかし、私にとってそれは重複している「無駄なもの」ではありません。
私からすると色や絵柄が違えばそれはもう全くの別物なのです。

 

「メリハリ」をつけて「贅沢」をする

先ほどのスマートフォンの話に戻ると、
なぜ2台もスマートフォンを買ったかというと、

iPhone4Sの頃からずっとiPhoneを使い続けているほど
私はiPhoneが好きです。

ですが、Androidのスマートフォンが嫌いなわけではありません。

Androidのスマートフォンも使いたいのですが、
Androidに機種変更するとiPhoneが使えなくなるので使わなかっただけなのです。

それを解決するのがiPhoneとAndroidの2台持ちだったのです。

興味のない人から見るとそれは無駄の極みだと思います。
スマートフォンは安くはないですし、月々の料金はかかりますし…。

しかし、私は非常に満足でした。
晴れて念願のAndroidのスマートフォンを
所持することができたのですから

2台持ちをしなかったら、一生Android機種に変えることはおろか、
触ることさえなかったでしょう。

 

しかし、全てにおいてそのような贅沢をしているわけではありません。

私は服や靴などにはほとんどお金をかけませんし、
時計やアクセサリーなども一切しません。
その節約した分をスマートフォン代に当てていただけなのです。

私はガジェットが好きなのでそのようなお金の使い方をしますが、
例えば服が好きな方は私と真逆の使い方をすることでしょう。

全てにお金をかけようとうすると
余程のお金持ちではない限り、
そのようなお金の使い方をしては破産してしまいます。

メリハリをつけて、節約するところは徹底的に、
使う時は思い切り、それが大事だと思います。

 

「無駄」こそ「人間らしさ」であり満足感や幸福につながる

逆に節約して貯金ばかりしていればいいかというと、
そうではないのではないかと思います。

目標もなしにただただ節約に励むのは、ただの苦行です。

何が言いたいかと言うと、
「効率」を求め「無駄」をなくすと

人間らしい生活ではないのではないか、と。

「無駄」なことをすることこそ、人間らしく生きることではないのか、と。

例えば、社会人になって数年の新入社員が節約生活をし、
頑張ってお金をため、高級車を買ったとしましょう。

あくまで私の憶測ですが、多くの「一般常識」のある大人はこう言うでしょう。

「お金の無駄遣いだね、車なんてすぐ飽きるのに」
「将来のためにお金を貯めてた方がよかったのに」

どれが正解ということはないですが、
私個人的には本人が満足しているのであれば、
それは正しい選択なんじゃないかなと思います。

つまり、「効率」や「損得」を優先し
「無駄」をなくしてしまうと、

本当の意味での満足感や幸せは得られないのではないか、と。

 

人によってモノサシの長さは違うよ

そもそも「無駄なもの」と「無駄ではないもの」の違いって
なんでしょう。

それは世間の常識では測れず、
個々によって違うのではないでしょうか。

つまり、自分にとって生きる上で大切なものの
優先順位が人によって違うということ。

 

私はガジェットが好きなのでスマートフォンを2台買いましたが、
興味のない人にとってはまさに「無駄」なものです。

よく、奥さんが夫の大切にしていたフィギュアを
スペースの無駄だと思って捨ててしまった、などと聞くことがありますが、
まさに「無駄」の感覚の違いから引き起こされたものでしょう。

夫はそのショックから立ち直るのは容易な事ではありません。

また、寝食を忘れて熱中するほどゲームが好きな方は、
ゲームは「生きる」ために必要なものですが、

例えばゲームは
子供の時間を奪う「無駄」なものとするゲーム禁止の法律ができたとすると、
その人は生きがいを失ってしまうことになります。

誰かが思う「無駄」なことは、実は誰かの「生きる」ために必要なもの
だったりするわけです。

みんなが「無駄」=「余裕」がある社会を目指しましょう

もちろん、「効率化」や「生産性が向上」するのはいいことだと思います。

しかし、行き過ぎた「効率化」は「人間らしさ」を
奪いかねません。

現代の日本人は皆精神的にも金銭的にも時間的にも
「無駄」=「余裕」がないように見受けられます。

余裕がないからといって「奪い合い」「傷付けあい」
からは何も生み出しません。

「無駄」=「余裕」があるからこそ人間は生きる「楽しみ」を見出せるのです。

「無駄」があることこそ人間らしさであり、
時には誰かの「生きがい」になるということを忘れないで欲しいです。

 

 

 

 

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